物理の面白さに、院試の勉強中に気づいた

――村山先生は数学・物理学・天文学の連携により宇宙の解明に挑む東大Kavli IPMUの初代リーダーを務められ、研究者としてカリフォルニア大学バークレー校の教授も兼務しながら、現在でも第一線でご活躍されています。大学時代はどんな学生だったのでしょうか。
勉強よりオーケストラにのめり込んでいて、試験前には人からノートをコピーさせてもらってなんとか試験を受けるような学生でした(笑)。「物理ってこんなに面白いんだ」と思ったのは、院試の勉強を始めたとき。ただ、よく調べず大学院に入ってしまったので、私がやりたい内容はあまり研究できませんでした。
やりたい勉強ができないショックで、最初は修士を取ったら就職しようと考えていたほどです。ですが修士2年のとき、現在高エネルギー加速器研究機構にいる萩原薫教授による素粒子物理学の集中講義を聴く機会があり、 自分がやりたかったことはこれだと直感。講義が終わってすぐに「教えてください!」と頼み込みました。
そうしたら教授は「教えても構わないけど、僕はこれからイギリスで2年間研究をするので、その後ね」っておっしゃったのです(笑)。それでも本当に学びたかったので、全然違う研究をしながら2年間待ちました。
――当時は、超弦理論へ研究者が大挙して動いた時期だったため、素粒子物理学は下火になっていたんですよね。
はい。萩原教授の帰国後、人気のない下火な分野ながらどうにか数人を集めてD2(博士課程2年)の3月に合宿をやったのですが、その頃にはD論(博士論文)の期限まで1年を切っていました。そこからは必死でしたね。
――D論ではどんな研究をしたのでしょうか。
素粒子の研究をするときは基本的に加速器というものを使って実験するのですが、その加速器での現象を計算できるソフトウェアを開発して、いろいろなシミュレーションのデータを論文にまとめました。
ところがこの研究がD論の審査で落ちかけたんです。実験の先生からは「これは実験のデータじゃない」、理論の先生からは「これは単にソフトであって理論じゃない」という指摘があって、合格前に「これは物理学なんだろうか」ともめたらしくて。
――最先端の分野ゆえに判断が難しかったのですね。
当時の日本には研究者もほぼいなかったし、価値がないと思われたのでしょう。その分野のコミュニティーでは価値が認められて、その後何十年間もそのソフトウェアを使い続けてくれたんですけどね。
大学院を卒業後は助手として採用された東北大へ行きましたが、日本にいても自分の研究はきっと認めてもらえないと思い、渡米を考えました。
「自分の専門にとらわれない」バークレーでの衝撃

――アメリカではローレンス・バークレー国立研究所で研究員をされています。日本の研究室と文化の違いは感じましたか?
ある時、自分の研究分野を詳細に説明し始めたら、明らかに退屈そうな顔をされたんです。アメリカでは、最初に数分でサクッと「自分はこんな面白いことをやっている」と言えないといけないと気づきました。自分を売り込む文化は、日本と大きく違うところですね。
あと、誰も自分の研究にとらわれていないのはうれしい驚きでした。たとえば、以前バークレーにルイス・アルヴァレズという物理学者がいました。彼は素粒子の実験で新しい粒子をたくさん発見してノーベル賞を受賞した人ですが、一番有名な論文は「恐竜が絶滅した原因は隕石(いんせき)」という内容です。
一見、彼の専門と無関係ですが、この論文は隕石に含まれるイリジウムの元素がユカタン半島付近の恐竜時代の地層に多かったことが鍵になっている。彼の中ではつながっているんです。
専門分野の知見を軸としながら、広く世界を見渡して研究成果を出す。そんな自由な人がたくさんいました。一つのことを真面目に突き詰める日本の研究スタイルも良いですが、バークレーで自由に新しいことにチャレンジする文化に触れたことは、非常に刺激的でしたね。
行き詰まったら、一度放置して他のことをやってみる

――バークレーの文化から村山先生はどんな影響を受けたのでしょうか。
同じことを続けていても、絶対アイデアやスキルが足りずに答えが出なくて行き詰まるときがあります。そんなときは潔く、寝かせておいて他のことをやろうと考えるようになりました。数年後、放置した問題にまた戻ってくると、 自分が進歩しているから答えが出せることがあるんです。
一度離れてみると自分の研究テーマの全体像を把握できる上、相対化して捉えることもできるので、次の研究テーマも見つけやすくなる。だから学生にもしつこく、できるだけ広い視野を持ったほうがいいと伝えています。
――視野を広く持つためには、何が必要だとお考えですか?
研究テーマそのものはもちろん、その周辺領域にも興味を持つことです。周辺領域が進歩すると、それが自分の研究に跳ね返ってくることがよくあります。
いつも好奇心を持って自分を広げようとしていないと、テーマも見つからないし、アイデアも結果も出せません。私の場合は 「耳学問」スタイルで、講演などに行き知識を持っている人の話を直接聞くことで、自分の幅を広げています。また、自分と他人がそれぞれ興味を持った問題の「はざま」の部分は、新しいアイデアや研究が見つけやすいですね。好奇心を持った分野の知見を深めるのに「他力」を使うのは有効です。何も自分でイチから理解しようとする必要はない。
――逆に、広い視野を確保せず専門分野にこだわることは、キャリア選択にも影響を及ぼすでしょうか。
専門の研究ができるポジションを探す選択肢はありますが、日本だけ、研究だけと限定した瞬間に可能性はぐっと狭まる。行き先も、分野や職種も広く捉え、スキルを最大限に伸ばせる選択が理想的です。
本来、専門分野で働くことだけが専門性を生かすことではないはずです。アカデミアの道だけが成功という考え方はプレッシャーにもなる。でも、研究を生かしてGoogleのような大企業に入れたら、それはそれで良いことじゃないですか。お金も稼げるし(笑)。スキルを生かして活躍するわけですから、後ろめたく思うことでもないと思います。
研究の中で培った考える力や問題を解くスキルは、社会でも応用が利きます。アメリカでは企業側もそれを分かっていて、素粒子や宇宙の研究をしている学生が金融業界に行く例も多い。株の動きを見ることは予測、検証、戦略改善の繰り返しで、研究と似ているんです。最近ではビッグデータ系に進む人も増えていますね。
多分野の協働は翻訳と「ランダムウォーク」が鍵
――最近ではアカデミアと企業、産業が協力するオープンイノベーションも盛んです。異分野の人たちとの協働のために、学生のうちから何を身に付けておくべきでしょうか。
異分野の人同士、たとえば数学と物理の人は話す言葉が違っていて、中国語とフランス語で会話するようなもの。相手の立場に立ち、自分が分野外の人間だったらどうすれば通じるか、どう「翻訳」すべきか考える力が必要です。
ただ、英語のジョークを無理に日本語にしても笑えないように、翻訳をすれば必ずニュアンスは失われます。でも、正確に訳せないことがあってもいいから話す、と割り切らなきゃいけないと思います。
――異分野間でのコミュニケーションによるイノベーションの工夫は、Kavli IPMUでも取り入れているそうですね。
複雑な課題に挑む際には、自分にないものを持っている異分野の人の知見が新しい発想につながります。それが自然に起きるような環境設計には工夫をこらしました。建物の構造も異分野の研究室が隣同士になるようにしていますし、3時のティータイムには皆が集まって無駄話をすることで気軽に質問しやすくしています。講演の後などでは、どうしてもバカな質問はできないですからね(笑)。お茶を飲みながらなら、カジュアルな質問も自然にできる。
この背景には、自分自身が大学院でやりたい研究ができずつまずいた経験があります。そんなときも、私は他の研究を理解しようとし、別のテーマの面白さを発見してきました。「ランダムウォーク」というのですが、でたらめな方向に行っているような状況は、実は少しずつ自分の幅を広げていけるチャンスなんです。

Kavli IPMUでのティータイムの様子。異分野の研究者が集い、自由な雰囲気で思い思いにコミュニケーションをとっている。
――では、11年前にKavli IPMUの初代機構長の職に就いたときから今日までの、ご自身のキャリアや日本の研究環境を振り返ってどう思われますか。
最初は打診されてしぶしぶ引き受けたんですけど(笑)、これもランダムウォークと同じで、結果的に研究以外のスキルの幅も広がりました。
アメリカから日本を見ると、閉鎖的に見えてもったいないのをずっと何とかしたかったんです。もう昔のように論文さえ書いていれば評価される時代ではなく、もっと発信をしないと世界は目を向けてくれません。
日本の論文って、良い内容でも「ジャパニーズペーパー」と言われるんですよ。誰の論文、ではなくて、日本の論文。研究者の顔が伝わってこないんです。この状況に風穴を開け、日本の研究が海外でもっと知られるようになり、人の行き来も増えてほしい。着任時からそう願い続けてきましたし、貢献できたと感じています。
――今年、村山先生はKavli IPMUの機構長を退任されました。研究所の注目度やプレゼンスが高まっている今、その判断を下したことに驚きます。
研究は常に新しいことをやっていくものですから、同じ人がずっとリーダーだと行き詰まるんですよ。次世代が育たない状況になれば研究所の質は落ちていきます。最先端で勝負できるためには、研究所も、研究者も、変わり続けていく必要がありますね。
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編集後記
国際研究所のマネジメントを担う立場を経験してなお、研究者としての視座を決して失わない村山教授。最前線の研究室で得た学びを一つずつ積み上げて構築された彼のキャリア論は、視野を広げ、さまざまなフィールドで研究と生きていくことの楽しさを教えてくれた。
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