コモディティ化しやすい商品の差別化は、オペレーションを工夫
※画像はイメージです。 フリー写真素材ぱくたそ
収益源の中身を事業別に見ると、塩化ビニル樹脂(塩ビ)・化成品事業で35%、半導体シリコン事業で22%。この2つの事業は、売上高のおよそ半分を占める花形事業だ。世界シェアNo,1の素材は塩ビとシリコンウエハーのほかに、合成石英や先端品フォトマスクブランクス、合成性フェロモンが挙げられる。
塩化ビニルは構造が単純で、生産に高度な技術を必要としないため、他社も同じ製法で容易に同素材を作り出すことができる。また、安価で丈夫に作れるがゆえに新しい素材の商品に代替されにくく、ロングセラーを維持しやすいが、半面それは、素材単体では他社との差別化が難しいことを意味する。いわゆる「コモディティ商品」だ。
このような商材を扱う同社は、オペレーションによって差別化を図っている。オペレーションとはすなわち、営業力や納期の厳守、安定供給できる体制が整っていることを指す。具体的には公開されていないが、現社長である斉藤恭彦氏のこんな言葉に、そのオペレーション力の一端が垣間見える。
「世界中にいるお客さまに、必要なときに必要な量の製品を、安定した品質で、双方にメリットがある価格で納めること。その際、ムダな在庫を持たず、売り切ること。このオペレーションをきっちりと継続してやり切っている化学メーカーは、そんなにないと思います。
(中略)
例えば、約束した納期を守るという1点をとっても、現場の力量が問われます。当社では、「最初に注文を取るときが肝心。そこでいい加減な仕事をしては絶対にいけない」という認識が行き渡っています。ですから、営業は製造現場と密に確認をとり、納期や量について「できる」と確信してから、お客さまにお話をします。いくらお客さまが望むからといって、いい顔をしてできない注文を引き受けることはしません。」
( 超・高収益企業のトップが初めてメディアに語った「強さ」の秘訣【前編】 FROGGYより引用)
後述するが、現会長の金川千尋氏は、社長時代、少数精鋭で顧客対応する営業部隊を編成し、納期や生産量のコントロールを徹底した。その頃から連綿と続く、オペレーションの合理化による差別化が、今日の信越化学工業の強さの秘訣といっても過言ではない。
さて、次の章からは、同社の事業と繁栄までの道のりについてより詳しく紹介していこう。
戦前は化学肥料、戦後はシリコーンや塩ビで成長
1926年、信越化学工業は前身である肥料メーカー「信越窒素肥料」として新潟県に発足。「信濃の水」と「越後の石灰石」の2つの自然の恵みから、化学肥料である石灰窒素の製造を行っていた。1940年に信越化学工業に社名変更、終戦4年後の1949年、東京証券取引所に上場を果たす。1953年、日本で初めてシリコーンを事業化した。
ちなみに半導体シリコンとシリコーンは別物である。半導体シリコンは、半導体の基盤材料=シリコンの結晶を薄くスライスしたシリコンウエハーのこと。シリコーンはオイルや液状ゴム、パウダーなどに加工できる合成樹脂だ。
信越化学工業の牽引役の一つである塩ビ事業は、オイルショックの起きた1973年、アメリカの子会社シンテックの設立に始まる。もともとアメリカ最大の塩ビパイプメーカー「ロビンテック」との合弁会社だったが、途中で相手が撤退したために1978年にシンテックを100%子会社化した。
設立当初はアメリカの塩ビメーカー中13位の生産量しかない後発メーカーだったが、子会社化を果たした当時シンテック社長に就任した金川氏が「フル生産、全量販売」の経営方針を実践。「常に工場を稼働させ、最高品質のものを最低価格で安定供給」し、「確実に売り先を確保するために営業して顧客開拓し、売り切る」という両輪を軸に、事業を拡大していった。
こうして着実に生産量を増やしていき、設備投資を重ねて1990年には年間生産能力が9倍の90万トンに。アメリカ国内でのシェアは20%と迫り、アメリカ塩ビメーカーのトップに踊り出た。
今では生産量を創業時の30倍にまで伸ばし、世界シェアNo,1を維持している。さらに現在、長期的な安定供給を可能にするため、原料からの一貫生産体制を整えて世界各国へ販売するなどし、より強固な体制作りを進めている。
現会長、金川氏の社長就任から世界No,1への快進撃が始まる
金川氏は1950年に東大法学部を卒業し、極東物産(現三井物産)に入社。不良債権の回収や営業職などを経て、1962年、「モノづくりに携わりたい」と信越化学工業へ入社した。
1990年の社長就任直後は、塩ビやシリコーンなどの得意分野に経営資源を集中することで、世界的事業へと育て上げた。また、現在は70%以上の売上を占める海外への展開も、この頃から投資や買収を積極的に行った。アメリカやアジア、ヨーロッパへと展開し、特定の地域リスクに売上を左右されない分散体制を構築。商品ラインナップの面でも新旧の素材を織り交ぜて幅広くそろえることで、時流による浮き沈みを互いに補完できる体制を築いた。
金川氏の特徴は、現場の需要から得たニーズや情報による迅速な意思決定と、潤沢な資金による設備投資や企業買収、また、徹底した合理化や少数精鋭主義にあった。合理化においては中期計画や組織改革、コーポレート・アイデンティティー活動などを「ムダである」として廃止。社長就任当時はバブルの頃で新卒を600人ほど採用していたが、それもゼロした。会議も3分の1に減らし、役員会議の回数も時間も減らした。まさに「大改革」といえる金川時代の始まりである。
製造現場では徹底した合理化を図り、少数精鋭部隊で顧客対応をした。同業他社が5人の営業マンを引き連れて商談に来るところを、シンテックはたった1人で乗り込んでいく。「なぜ1人しか来ないんだ」と顧客に問わたれとき、「その分がお客様のコストに上乗せされますよ」と説得したという。全従業員550名中、営業担当はたったの10名ほどしかいなかった。
また、営業担当は製造現場と密に連携し、納期や生産量のコントロールを徹底した。アメリカの製造業では納期が厳密に守られることは少なかったため、納期厳守を徹底することが強みとなったのだ。
信越化学工業が発展したもう一つの理由として、設備投資の規模や時期の判断の的確さが挙げられる。厳密には、現場から緻密に顧客のニーズを吸い上げ、それを設備投資するタイミングに生かしていたのだ。
金川氏の功績は大きい。当時は赤字を垂れ流していた日本国内の塩ビ事業も、立て直して黒字化。1990年に信越化学工業の社長に就任し、2016年に会長職へ就任するまで組織を牽引して多くのNo,1製品が生まれた。今では海外の生産・販売拠点が20カ国86拠点、海外売上比率は70%を超える。
研究開発でも、三位一体の合理化
さて、ここまで塩ビと金川氏の功績を中心にみてきたため、同社が営業力ドリブンの企業のように思われるかもしれない。しかし、研究開発にも当然力を入れている。研究施設は日本国内に6カ所あり、研究開発費は年間500億円を超える。
営業、開発、製造が三位一体となった研究開発体制が特徴で、営業が吸い上げたニーズが開発部門に伝えられ、そこから研究テーマが設定される。開発は製造部門と連携し、設備を利用しての量産化を見据えながら研究を進める。この一連の流れを効率的に行うため、信越化学では全ての研究開発拠点を工場の敷地内に構え、各部門が密接に関わっている。
AIやIoT、ビッグデータなどの新技術に対応して重点投資
同社は今後、既存の主力事業の強化のみならず、新規事業の育成に力を入れていく方針を打ち出している。AIやIoTの分野でさらなる発展が期待できる半導体シリコン、新興国でのインフラ需要の増加に伴う塩ビ生産量の増加だけでなく、再生可能エネルギー分野や医療・介護ロボットで使われるレア・アースマグネットやシリコーンなど、新しい社会課題に対応できる製品を拡充していく。
成長投資としては、たとえばシンテックの工場内に1,550億円を投じて主原料のエチレン工場を新設。レア・アースマグネットの場合は、ベトナムでの生産能力を増強するために50億円を投資する予定だ。研究開発では、AIやIoT、ビッグデータなどの新しい技術の進歩につながる5つのテーマを重点的に取り組む。
1.エネルギー関連:ケイ素(Si)系素材のリチウム電池材料への応用
2.半導体材料:さらなる高機能化を支える半導体材料の革新
3.パワーデバイス:パワーデバイス用の基板材料を開発
4.ヘルスケア:健康と医療の明日を拓く、多彩な応用技術
5.光通信:光通信の高度化を支える材料技術
多種多様な素材でシェアNo,1の座を譲らない信越化学工業。徹底した合理化と少数精鋭のオペレーションによる原価低減努力を続け、価値を生む部分の研究開発や設備投資は惜しみなく行う。金川氏の築いてきた体制が脈々と受け継がれている、同社の強みだといえよう。