消費財の国内最大手「花王」のたどった道のり
1863年、花王の創業者である長瀬富郎は、長野県の近く、中山道沿いに位置する岐阜県恵那郡福岡村(現在の中津川市)で生まれた。生家は農業と酒造業を営み、小学校修了後は母親の郷里である加茂郡神土村(後の加茂郡東白川村神土)に奉公に出る。奉公先の若松屋で早くに才覚が認められ、17歳で下呂支店を任されるようになった。
「いつか独立しよう」と企てていた生粋の商人気質の長瀬。1885年に上京し、なけなしの財産を元手に米相場を張ったが大負け。やむなく日本橋馬喰町にあった和洋小物の問屋・小売店「伊能商店」に勤めることになる。
商店で取り扱う靴や帽子、コーヒーなどの雑貨のひとつに、石鹸もあった。明治時代、庶民の暮らしには既に石鹸が根づいていたが、品質の良い輸入石鹸は極めて高価。安価で手に入る国産のものは品質に難があり、ほとんどは洗濯用として使われていた。
1887年には伊能商店から独立し、洋小物の小売店「長瀬商店」を開業。石鹸や西洋文房具を主に取り扱った。しかし、開店当初から国産石鹸がその質の悪さゆえに頻繁に返品されてしまうという課題にぶつかる。既存の石鹸メーカーに頼っていてはこれ以上の改善は見込めないと考えた長瀬は、思い切って高品質な石鹸の自社製造に乗り出した。伊能商店時代の仕入先であった石鹸職人の村田亀太郎を石鹸製造事業に誘い込み、製品開発・研究には知人の薬剤師、瀬戸末吉に化学や調合の知識を仰いだ。
1890年、ついに初の長瀬商店発石鹸が完成。それまで洗濯にしか使えなかった国産石鹸とは異なり、「顔を洗える石鹸作り」にこだわったことから、「顔(かお)」にちなんだ商標として「花王(かおう)」という社名が誕生。同社のシンボルとなっている月の横顔のロゴマークも、長瀬が原案を考えた。
1902年、創業から12年の歳月をかけ、石鹸の仕込みから包装まで一気通貫で生産できる体制を確立させ、その5年後には売上高が10万円を突破した。明治時代の1円は、現在の金額に換算するとおよそ3,800円。工場のベテラン技術者の月給は20円前後であることを考えると、その額の大きさがよく分かるだろう。
良質な石鹸の普及に努めた長瀬は、1911年に48歳で逝去。常に業界の先頭に立って『石鹸、歯磨、化粧品は贅沢品にあらず、実用品なり』と、石鹸をはじめとする消費財の輸入税値上げ阻止のために奔走した人生だった。
既存品と比較してやや高価な値付けにも関わらず、同社の石鹸はあまねく人々の生活に浸透した。その裏には、日用品を高品質に高めるための商品開発だけでなく、広告コピーやレイアウトなどの宣伝・販促も、すべてひとりでに背負った長瀬の情熱があった。
石鹸の質と、商品を包む美しいろう紙に描かれた花王のロゴによってブランドイメージが確立され、花王の商品は現在も贈答用にも重宝されている。
花王石鹸が庶民の「当たり前」に
花王の昭和時代を先導したのが、2代目富郎こと富雄である。初代富郎の尽力によって、大正から昭和の初め頃には「国産の石鹸は質が高く、日用品として幅広く使える」という認識が人々のあいだに広まり、2代目富朗の近代的な経営感覚がこれを加速させた。大量生産の体制も整ったことで、1930年代には庶民が当たり前に花王石鹸を購入できるようになった。
特に戦後の日本は、世界でも類を見ないほど清潔や衛生に対して強いこだわりを持つ。戦時中、油脂の不足により一時期石鹸の質は著しく落ちたが、復興期に加速した清潔志向に応えるべく、花王は技術と研究を洗練させていった。その後、高度経済成長による生活水準の向上や洗濯機の普及に相まって、1970年代には家庭に内風呂が普及したことも業績の伸びを後押し。1985年に現在の「花王株式会社」の形が完成した。
ぶれない「よきモノづくり」で世界の「Kao」に
日本の消費財業界は、以下の4つの理由から今後も成長が見込まれている。
- 少子高齢化の進行によって、中高年のトイレタリー製品などの需要が拡大
- 嗜好の変化と多様化によって、化粧品選びのパーソナルユース化
- ニベアメン、メンズビオレをはじめ、男性向け商品の市場拡大
- トイレタリー用品の免税化によるインバウンド需要の拡大
上記を踏まえ、花王は2030年までにグローバル市場でも存在感を示せる会社「Kao」の達成を目指すと発表している。高収益なグローバル消費財企業として数値目標も以下の通り設定した。
- 売上高2.5兆円(海外1兆円)超え
- 営業利益率17%超え
- ROE20%超え ( 花王公式サイト中期経営計画ページより )
ベビー用おむつの海外市場でのシェア拡大や、アジアや欧米におけるコンシューマープロダクツ事業の利益率の向上など、中期経営計画の達成にも抜かりない。化粧品を成長の柱に据え、新規事業の創出も図ることで、売上目標3,000億円(現在は2,712億円)、営業利益10%(現在は4.7%)の達成を目指す。
とはいえ、この高い目標の裏には課題も残されている。かつて花王グループは、カネボウ化粧品の買収を代表的な例としてブランド数を増やすことに奔走していた。しかし、あまりにも増えた社内のブランドのそれぞれに役割や目的を設定できず、横串でのブランドポートフォリオが不明瞭となり、業績が落ち込むという失敗をしている。
その結果を重く受け止めた同社は、2018年5月18日に化粧品事業のブランド整理発表会を開催。消費者にとって選択・購入しやすいチャネル展開が行われる予定だ。かつての石鹸黎明期に消費者の生活に寄り添った花王の在り方が想起される。
研究開発に潤沢な資金を投入――研究好きの理系学生よ、花王に来たれ
幅広い製品群を展開するための資金力を備え、コア・サイエンスである化学、生物学、物理学を中心に多様なポストで研究職を積極的に採用する花王。大学・大学院で学んだ専攻分野をそのまま生かすこともできる。
また、企業内研究所の在り方には、花王の組織運営のユニークさが表れている。さまざまな分野の研究者たちが別々の研究室にこもって各々の仕事に取り組むのではなく、大部屋制という仕組みのもと、分野を超えた研究者たちのコミュニケーションが活発に行われる。
花王の研究開発は、商品ブランドの販売・改良を行う「商品開発研究」と、多くの商品の製造過程で横断的に用いられる科学・技術の研究を行う「基礎技術研究」に分類される。ここには「優れた商品は多様な科学と技術を背景として生まれてくる」という信念を垣間見ることができ、各研究員の担当領域を超えたコミュニケーションが花王商品への強固な信頼を約束している。
創業者・長瀬富郎の初志は130年経った今でも花王のDNAとして脈々と受け継がれている。妥協のない技術や商品開発のプロセスと洗練されたブランドイメージの織りなす商品は奇跡や魔法のたまものではなく、いつの時代もよりよい暮らしを目指した技術者たちの挑戦によって成立しているのだ。
LabBase「人気企業ランキング」をチェックする