印刷テクノロジーの応用が新たなビジネスに
52,210名。これは凸版印刷グループ連結の従業員の数である。(2018年3月末時点) 1900年の創業から100年以上を経た今日においても、凸版印刷は日本の産業界に大きな存在感を示し続けている。連結の売上高は14,315億円で印刷業界トップ、事業所は国内に79拠点、海外にも76拠点を構える大所帯だ。
事業領域は、いずれも印刷テクノロジーを基盤とした「情報コミュニケーション」「生活・産業」「エレクトロニクス」の3分野に大別される。凸版印刷の印刷テクノロジーとは、以下5つのコア技術を集約した呼称である。
- マーケティング・ソリューション
- 情報加工
- 微細加工
- 表面加工
- 成型加工
印刷会社といえばこうしたコア技術を用いた従来のチラシやポスター、また商品のパッケージなど「紙の印刷」のイメージがいまだに先行しているが、凸版印刷の手掛ける事業や研究・開発、またパートナーは実に多岐にわたる。
この印刷テクノロジーにITやクリエーティブの力、加工技術を組み合わせることでさまざまなフィールドに技術を転移させることが可能となっているのだ。現に、売上の約4割は半導体や生活・産業など、基幹事業の「情報コミュニケーション」以外の分野から発生している。
「紙だけの時代」の次の手は?技術力で作る新規事業
経済産業省の「平成29年工業統計産業編」の調査によると、従業者4人以上の印刷・同関連業の事業所は10,589カ所。全盛期の1988年の同調査結果34,406箇所と比較するとその差は歴然としており、市場規模はみるみる縮小している。
世の中のIT・デジタル化に伴って、紙メディアの需要は減退の一途をたどっている。もちろん、完全に紙がなくなることは考えられないが、待っているだけで受注できた時代はすでに終末に近づいている。文字通り、ビジネスモデルの改革が必要なのだ。
先述のとおり、凸版印刷の売上の約4割が新規事業によるものだが、それはほぼ同規模の競合・大日本印刷も変わらず、売上の半分近くが非印刷業によるものである。両社ともに紙の印刷に代替する事業として、長年蓄積してきたビッグデータを生かして得意先企業の業務改善を図るBPO(ビジネスプロセスアウトソーシング:業務委託)に乗り出している。
凸版印刷では、ビッグデータを活用した起業支援を「トッパン・デジタルトランスフォーメーション」と銘打っている。2020年には情報コミュニケーション事業の柱とすべく、ビッグデータの分析専門チームを2018年現在の500人から2年後には倍の1,000人に拡大する予定だ。
また、情報コミュニケーション事業分野の新たなプロジェクトには、産学官が連携して文化財や観光情報をアーカイブしてデータベースを作成し、VRや4K、8K映像など最新表現技術を用いて新たな観光の形を体験してもらう体験型施設の「NIPPON GALLERY TABIDO MARUNOUCHI」(2018年6月開設)もある。これまで自治体と結託した地方創生事業には励んできたが、今後は2020年の東京オリンピックも見据え、政府や中央省庁との協同も画策するなど、新たな動きを見せている。
生活・産業事業分野は、凸版印刷の中でも海外需要への対応を担うセグメントだ。世界トップシェアの透明蒸着バリアフィルム「GL BARRIER」事業のさらなる拡大に加え、所得の上がってきたASEAN地域で需要の高まっている軟包材事業の拡大を図る。また、スペインでは建装材印刷会社のデコテック社を買収したことによって、ヨーロッパで初となる建装材拠点を獲得した。
いまだ社内における収益シェアとしては大きくないエレクトロニクス事業分野は、間もなく産業界に大きなインパクトを与えると予測されているIoTやAIのデバイス向けの製品開発を進めており、今後の躍進が期待されている。他には中小型液晶パネル事業拡大とフォトマスクの業績の継続的な拡大がミッションにある。
開かれた研究環境でさらなるイノベーション
「文系に人気」というイメージを持たれがちな凸版印刷。しかし、職種別の新卒採用数を見ると、なんと営業・事務系とほぼ同数の技術職が採用されている。2018年度の新卒採用実績は、営業・事務系が160名、企画系が30名、そして技術系が140名の社員が入社した。
多くのクライアント、パートナーを抱える凸版印刷において、営業・事務の人員はもちろん重要な存在だ。しかし、それとほぼ同数の技術者が採用されていることから、縮小する紙産業の知見を生かした技術応用で新たな活路を見いだそうという貪欲な姿勢をうかがことができる。社の起源からデジタル化による需要の変化まで、「印刷」に真摯に向き合う凸版印刷は常に新たな技術の開発をもってビジネスの活路を見いだしてきただけに、技術職に寄せる社の信頼は厚い。
技術系の職種は、「研究開発」、「商品開発」、「生産技術」、もしくは「システム開発」のいずれかの部門に配属される。手掛ける事業が多岐に及ぶため、以下専攻での学び・研究を業務に生かすことができる。
- 機械系
- 電気・電子・通信系、
- 情報・画像系
- 物理・数理系
- 化学・材料系
- バイオ・環境系
(凸版印刷の各ソリューションと専攻のマトリクスは こちら)
凸版印刷の研究開発の特徴は「技術に対して開かれている」と表現できる。国内外の有力企業や大学、研究機関との共同研究が積極的に行われるため、クローズドになりがちな研究環境とは異なり、世の流れとの接続感を保ちながら研究開発に励むことができる。技術者にスポットライトが当たりやすい環境と言えるだろう。
情報技術の波がついに「アナログ」の根源的な在り方を変えようとしている今、歴史を支えた技術と知見から、次の時代を創る技術が求められている。日本のアナログ印刷を120年近く支えてきた凸版印刷は、どのような新しい時代を築くのか。その動向に期待したい。
日本産業と文化躍進の立役者に――凸版印刷の歴史年表
大蔵省印刷局で技術指導に当たっていたエドアルド・キヨッソーネの下で印刷技術を学んだ木村延吉と降矢銀次郎の2人が凸版印刷合資会社を創立したのは1900年。実績者であるキヨッソーネから学んだ「エルへート凸版法」を、当時激しい販促競争が繰り広げられていたタバコのパッケージへ導入することによってビジネスの活路を見いだした。凸版印刷の技術開発への情熱は創業者世代から今日に至るまでまったく変わらない。
1910〜40年代
工業化が加速。ポスターやビラといった、紙媒体による情報の拡散が一般的になり、これが印刷産業に大きな飛躍をもたらした。第二次世界大戦の最中には国債・証券類の発行、終戦後も政府からの需要はやまず、日本銀行券や郵便切手、さらには宝くじの発行までと繁忙を極める。
1950〜70年代
1950年代には、ようやく復興の混乱期をしのいだ国民から活字を求める動きが盛んになる。
高度経済成長期には、国民の消費欲に火をつけるカタログやチラシが世にあふれる大量消費時代へと突入した。創業以来、有価証券の印刷にも注力してきた同社は、1951年に証券用凸版多色細紋印刷の製版印刷技術も開発。
50年代後半からは、トランジスタ製造用マスクなど、印刷製版技術を応用した新技術の開発も始まった。印刷される情報量の増加に伴い、手動の文字組版から機械化への必要を迫られ、コンピュータによる文字組版の開発・検討が1960年代後半に始まる。
1970年、CTS(コンピュータ組版システム)を日本で初めて実用化。小型でリーズナブルなコンピュータが販売されるようになると、CTSはさらにその認知度を高めた。
1972年に中央研究所が開設されると、それ以降世界的に注目を浴びる開発がいくつも行われた。なかでも、1973年に完成した「トッパンTHグラビア・プロセス」は、それ以前の鮮明度や濃淡の再現における不安定さを解決し、海外からも高い評価を得る。
1980年代〜2000年代
1986年には、これまで部門別に独立していた研究所が埼玉県杉戸町の総合研究所へと統合された。これは単に研究を総合化するだけでなく、凸版印刷の多彩な技術間で異種交配を引き起こすことが狙いにあったされている。意図的に多様な可能性を想定することが、情報伝達手段が変革する今日において生存戦略として機能している。
1990年代、バブルの崩壊とITの普及によって人々の生活は変化し、印刷の市場も縮小に転じた。すでに凸版印刷の開発は半導体やバイオ分野まで及び、社会のニーズの先取りを習慣としていた。
2000年代に入ると、米IBMと先端フォトマスクの共同開発契約を結ぶなど、世界にその名前と技術が知られるように。2007〜2009年には、カナダの金融情報誌コーポレート・ナイツによる「世界で最も持続可能な100社」に選出された。
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