リケジョに夢見る少女A
そもそも私が理系を選択した理由は、高校3年生当時、小保方晴子氏が台頭する「リケジョ」がブームであったからだ。
世間では、「理系は就職に困らない」と実しやかに囁かれていた。
どちらかと言えば文系科目の方が好きだったけれど、そういう事情ならば流行に乗りたい!!と理系を選択した。ハンドボール部を引退後、無我夢中で受験勉強に取り組み、どうにか大学に合格した。
こうして、私は憧れの「リケジョ」になることができたのだ。
大学院に進学
大学1~3年生活は、サークル活動2.5、勉強2.5、バイト5の暮らしだったと思う。
試験期間は特に忙しく、ボサボサの髪でレッドブルを飲みながら図書館に引きこもっていた。大学3年生の夏は、学部卒予定の友達が大企業のインターンに参加するのをみて、焦燥感にかられていた。
ー 自分が将来どうなりたいのか全くわからない。
ー 今、誇れるものも何もない。
兎に角【就職活動】が怖かった。
自分と向き合うことが面倒くさくなって、英国へ短期留学(現実逃避)した。

帰国後も、「大学院に進学するか、就職するか」この2つの狭間で迷っていた。
きっとみんなも経験しただろうね、難しい問題だよね。
私の場合は、「女の子なんだから就職したら?」が両親の本音だったけど、「たとえ、研究と別の道を歩む事になっても、座学で学んだことを実践せずに社会人になったら後悔する?挑戦してみよう」というカンジで進学を決意した。
研究は私から初恋をも奪うのか
バイオマテリアル系の研究室を志望した。
研究内容は、「新しい抗がん剤を合成し、実際に効果があるのか細胞レベルで評価する」というもの。
面白そうでしょ?
恥ずかしながら、「優秀な成績を納めて奨学金を免除にするぞ!」なんて意気込んでいた。しかし、そう簡単に上手くはいかないのが【研究】というものである。
10-20時のコアタイム、論文紹介の準備、研究の進捗報告に追われ、結果に一喜一憂する日々が秒速ですぎて行った。特に四年生は、研究モチベMAXだったので休日も研究室に行き成果を追い求めていた。
クリスマスも正月も、デートの集合時間より攪拌時間が気になる私。大学4年でやっとできた彼氏にも振られ、
私の恋人は、1×10⁷のがん細胞達だけになった。
結局、ずっと高いモチベーションを維持するのは難しくて、卒論発表と同時に私はスパークしてしまった。「がむしゃらに頑張る」って研究の世界では意味ないなってその時気付いた。
修士1年 夢見る少女でいられない!?

私は修士1年になった。卒論完全燃焼とテーマ変更も相まって唯一の取り柄である「根性」を喪失。不誠実に取り組むようになってしまった。
そのくせ、優秀な同期や先輩たちに劣等感を抱き、「私は頭が悪いから、成果がでないんだ」と、現状を改善する努力もしないクズ野郎になった。
「どうして?頑張りたいのに頑張れないんだろう」
「眠い、だるい、身体が重い」
「研究室に行きたくない」
「人生終わりだ」
超絶マイナス思考パーソンが誕生した。
特殊能力は【骨折したい】。
病院に行った結果、倦怠感の原因はバセドー病であった。
就活解禁まであと2ヶ月
また11月には、外資製薬のインターン選考(GD)に奇跡的に参加することができた。
しかし、流暢に言葉を操る他大生(アナウンサーですか?)に学歴もメンタルもフルボッコとなり、自分の無力さを知る事となる。質問に対し、「わかりませんごめんなさい」と答えたのは自分くらいだった。
「就活無理いいいい」泣きながらタピオカを飲んで帰った。
そこから、就職活動は休止し、研究を続け、病気が回復したのは2019年1月である。
こんなめんどくさい人間をよく面倒見てくれたと思う。研究室終わりに公園で一緒にブランコに乗って励ましてくれた同期、研究室のみんなありがとう。
また、はじめて学会に参加できることになり、また研究を頑張ろうと思えた。
「企業の研究職につくためには、研究の成果がなくてはいけない」
「学会にも最低1,2回は出とかなきゃ無理だ」
そんな思いを胸に、「就職活動解禁まであと2ヶ月」という数字が私に重くのしかかってきたのであった。
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