医学部志望から、データサイエンスの道へ

――データサイエンスとはどのように出合ったのでしょうか。
東京理科大学の工学部経営工学科で学び、博士(工学)の学位を取ったのですが、もともと経営工学の志望ではありませんでした。私は新潟の出身で、地方の理系選択の女子といえば、医学部に進学するという風潮が私の学生時代にはありました。しかし医学部には受からなくて、合格した中から進学先を検討していた時、お世話になった先生に、「経営工学は情報、統計、数理が混ざり合った分野。扱うデータが多様だから何か興味を引く要素が見つかるかもしれないよ」と言われました。積極的にデータサイエンスを選択したわけではありませんでしたが、データから何かを見つけたいという気持ちで進学しました。
ところが、まだデータサイエンスが確立する以前の時代ということもあり、講義はいわゆる統計の基礎とアルゴリズム、情報科学が中心でした。どうしても記述統計に興味が持てずにおりました。途中、やはり医学部を受験しようか、あるいは海外の大学で生物学を学ぼうかと思っていました。
そのような時に、数理統計学の講義を受けたこと、卒業研究配属先の研究室でブートストラップ法という計算機集中技法を研究したことが転機となりました。初めて統計学の面白さ、奥深さを感じ、博士後期課程まで大学に残ることとなりました。
――興味を引かれる研究に巡り合ったことが、キャリアを決定付けたんですね。
統計といってもいわゆる仮説検定(仮説の統計的な正しさを検証すること)などではなく、数理的な側面の研究です。昔ならひたすら手書きで式を展開していたところを、コンピュータを使って統計の分布の性質を導き出していくもので、数理の情報の力を組み合わせていく面白さがあります。
博士課程修了後は助手、今でいう助教としてそのまま東京理科大学にて3年勤め、2つの地方大学にて講師、准教授を経験しました.2011年からは横浜市立大学の国際総合科学部へ異動し、2018年にデータサイエンスやビッグデータを扱う専門学部の創設に携わりました。2021年度、第1期生が卒業します。
技術発展に伴って思う「人間だからできること」

――現在の研究テーマについても教えてください。
学位取得後、数学の力をつけたいと思い、他大学の数学科の先生の研究室へと通うようになりました。そこで、高階論理を利用した定理証明支援系であるIsabelle/HOLを知り、Isabell/HOLを用いた抽象数学の証明構築に取り組みました。Isabelle/HOLを用いて示された証明には、論理の隙間も、「よって自明」という数学のテキストで見慣れた表現も存在しません。自然言語表現が持つ表現上の曖昧さと冗長さも回避されています。しかし、その厳密さゆえに、人間の手による証明よりステップ数ははるかに多く、時には100倍以上のステップを踏むこともあります。
そのステップ数を減らして分かりやすくするには、AIなどの機械学習を導入する方法があります。AIをそのまま入れてブラックボックス化するのでなく、人に説明可能なものにする方法を、私たちはマスアイデアと呼んでいて、どういうマスアイデアを用いるのが良いか、今も議論中です。
――データサイエンスの社会的意義は、何だと考えますか?
統計や数学を研究していると、すばらしい技術の進化を感じる一方で、「では、人間にしかできないことって何?」と考え続ける必要があることを痛感します。大学の研究者としては、データサイエンスで未来の社会デザインに寄与したいです。感情も客観的データで示すことができるのは、データサイエンスの強み。例えば学生の授業の満足度アンケートにしても、学問や先生の好き嫌い、将来の有効性などが影響するので、回答をただ集計するのでなく「人の気持ちはブレる」という前提でデータを見ます。アンケートだけでなく、授業中の表情やディスカッションの姿勢、レポートの書き方などに表れる部分もデータ化できるようになってきました。
最近は、教育コンテンツの作成や書籍の執筆などを通して、データサイエンスの倫理教育の普及にも取り組んでいます。データがあれば何をしてもいいというわけではなく、個人情報の抜き取りや勝手な識別が起きたら気持ち悪いですし、安全性への疑問は当然浮かびます。社会や技術の変化に人間のアイデアをどう抽出し、社会デザインに組み込むか。科学はもっと貢献できると思っています。
人を巻き込み、異分野×データサイエンスを考える

――次世代のデータサイエンス人材の育成・支援にも取り組んでいるそうですね。
アメリカのスタンフォード大学の大学院ICMEが始めた「Women in Data Science(WiDS)」という活動で、データサイエンス分野の人材育成・支援をしています。「Women in」は数学、AI、土木、原子力などの学会でも世界的に行われている活動。学会で女性を増やすには、男性も含めた全体数を増やす必要があるため、シンポジウムに大学、研究所、企業などからロールモデルとなるような人を招き、男女問わず参加できるようにしています。
WiDSは、Inspire(奮起)、Educate(教育)、Support(支援)の3本柱で活動し、女性が登壇するシンポジウムなどを通して、データサイエンスの研究内容や働き方の認知向上に取り組んでいます。私はWiDS TOKYO@YCUのアンバサダーを務めていますが、声を上げることの重要性を実感中です。
――WiDS TOKYO@YCUではどんな活動を行っているのでしょうか。
最先端の研究に加え、人を巻き込んでその分野を広げていくこともアカデミアの重要な役割。データサイエンス学部を作った横浜市大の一員として始めた日本開催のシンポジウムを、皆でデータサイエンスについて考えるプラットフォームにしようと考えました。生活や社会にあるデータサイエンスの多様な展開の可能性を提示することで、産学連携をすすめる狙いもあります。
初回は大学の研究者のほか、情報・通信系企業のマーケティング担当者、人事担当者らを招き、「データをどう使っているか」を話していただき好評を博しました。2回目は他分野と掛け合わせることで、データサイエンスの広がりを示しました。ワーケーションを提唱する企業で働き方改革を進めている方、AIの研究所とのコラボレーションでさまざまなドレスを作ったデザイナーが登壇。3回目は、「AI×酒」をテーマに、発酵という伝統技法へのデータ活用例を紹介いただきました。
――海外で始まった活動でありながら、独自の取り組みが興味深いです。
WiDS TOKYO@YCUは伝統的な学会発表とは違う新しい枠組みを意識していて、企業からの参加者も多く、スタンフォードの方からも高く評価されています。データサイエンスに異分野を掛け合わせる面白さを「女性ならではの発想」と言う人もいますが、それは違うのではないかなと。いずれは名称から「Women in」が取れて、もっとジェンダーフリーで多様性のあるプラットフォームに変化していけたら、データサイエンスの広がりが社会デザインにもつながっていくと思います。
働き方の多様性への鍵は「共感力」

――昨今の日本の女性活躍のシーンをどのように見ていますか?
女性に活躍の場を割り当てる風潮がありますが、「女性枠」ではなく公平性が増すと良いと思います。同時に、家庭での労働などアンペイド・ワークの選択肢も否定されるべきではありません。働く時間数にしても、時短が軽んじられる風潮の根底には、平等と公平の認識の誤りがあると考えています。
また、世の中には「コーヒーは女性が入れたほうがおいしい」と考えている人もいるようですが、ぜひ味覚センサーで測り、データサイエンスを使って分析してみたいです(笑)。アイスランドでは1975年に、専業主婦も含めた女性人口の9割が一斉ストライキを行い、夫にコーヒーも入れないことで、見えない労働の価値を示したそうです。データを見せるだけでなく、共感によって多様な働き方を認め合えるように、日本でも研究やWiDSの活動でしなやかに貢献していきたいですね。
――研究者の育成には、どんなビジョンをお持ちですか。
横浜市大のデータサイエンス学部の男女比は6:4ですが、性別に関係なく能力を重視したいです。学生が「研究者として大学に残りたい」と感じるには、大学教員という職業がさらに魅力的であることも重要ですね。社会で得た気付きを生かせるデータサイエンスは、企業経験を経て再び大学院に戻るといった柔軟なキャリア形成に適した分野なので、大学側もその多様性の受け入れ環境を整備できたらと思います。
WiDS TOKYO@YCUでも今、中学や高校でデータサイエンスに興味を持ってもらうアウトリーチ活動を実施中です。他分野にもデータはさまざまな形で存在するので、デザインでも文学でも、「自分の好きな分野×データサイエンス」の感性を磨くというアプローチを採っています。
――進路を検討中の人にメッセージをお願いします。
進路選択も含めて問題解決にあたるなら、「他人事」でなく「自分事」として考えることが必要です。就職に有利だから、親や周りの人に言われたからという他者の価値観で学科や仕事を選んでも、誰かが責任を取ってくれることはありません。一つ一つの選択について、社会の未来や自分の子どもへの影響なども自分事として考える「共感力」を養うことで、自立して人と共に仕事ができると思います。共感する力を育みつつ、最終的に決断するのはいつも自分、と考えてほしいです。
編集後記
データサイエンスを人間中心のストーリーで活用し、社会デザインに還元するという小野准教授のビジョンは、産学連携や働き方の改善など、多様性を加速させる力強いポテンシャルを感じさせてくれた。研究者として社会に貢献するキャリアを歩む上で、大きなヒントとなりそうだ。