まだ世の中にない仕事のロールモデルになるまで。「森と未来」代表の小野さんが切り開いた道

インタビュー

LabBase Media 編集部

まだ世の中にない仕事のロールモデルになるまで。「森と未来」代表の小野さんが切り開いた道

自分の将来像が思い描けない……。就職活動で、そんな悩みを抱えたことはないだろうか。「森」と「心の健康」の関わりを伝える活動をしている「森と未来」代表の小野なぎささんは、さまざまな会社で経験を積み、目標のために必要なスキルを培ってきた。目標を実現させた小野さんに、学生時代から現在までのキャリアの変遷を伺った。

 都会と山村の課題解決に取り組む「森と未来」



――「森と未来」の事業内容について教えてください。


森と人がともに豊かな未来を創るために、2つの課題に向き合っています。1つ目が山村地域の課題です。日本は国土の約7割が森林ですが、地方へ行くと手付かずで荒れてしまっている森林が多くあります。放置された森林を価値のある空間へと導くため、地方自治体や所有者向けに森林の空間利用のコンサルティングを行っています。2020年からは森を森林浴として活用することを導く「森林浴ファシリテーター」の育成にも取り組んでいます。


2つ目が、都会に暮らしストレスに悩む方の健康問題です。森林から離れて暮らす都市部には、自然を求めている人がたくさんいます。人工物に囲まれて暮らす生活の中で、自然との触れ合いは、心を癒やし気分をリフレッシュさせてくれます。森に気軽に触れることができる森林浴を通じて、社員の健康増進のための研修を企画したり、個人向けにイベントを開催したりしています。また、各地での講演会や書籍執筆を通して、森が与える身体への影響について広く伝えています。


世の中にない仕事をするためのスキルとは



――小野さんが森に興味を持ったきっかけは何ですか?


両親がアウトドア派だったので幼い頃から自然が好きでした。森のことを詳しく学べたら楽しいだろうと思い、東京農業大学の森林総合科学科に進学しました。森林政策学研究室では、環境教育や地域の活性化について学んでいましたが、次第に森の中にいる時の「気持ち良さ」に興味があると気付いたんです。


当時、日本では年間自殺者数が3万人を突破して社会問題になっていました。この問題解決と森で過ごす健康への効果を組み合わせられないかと思い、研究室の先生に相談したうえで、学外で森と癒やしに関するアンケート調査をすることにしました。


森と健康に関する論文を調べたり、研究者に話を聞いたりするなかで、森にいることは体に良い効果があると医学的に証明されていると知りました。卒業論文も、森と心の健康をテーマにしました。この頃から、「働く人を森に連れて行って癒やす仕事がしたい」と思うようになったのですが、それはまだ世の中にない職業でした。


――ロールモデルがいない状態で、どうやって目標到達までの道筋を考えたのでしょう?


前例がないので、どこかに行けば教えてもらえる仕事ではありません。まずは目標のためにスキルを身につける必要があると考えました。柱になるのはターゲットである「働く人」、そして「メンタルヘルス」、「森」の3つです。これらの知識と経験を体得するために、チャンスがあればとにかく挑戦をしました。


例えば、就職活動では3つのどれから体得するかは決めず、自然に関わる仕事でもある八百屋の会社を受けたり、企業向けにメンタルヘルス対策を行っている会社を調べたりしました。でも、なかなかうまくいかなくて。それなら、まずターゲットとなる「働く人」を知って、どのような人に森と健康の関係を伝えたら効果があるのか見極めたいと思いました。そこで、大人が通う資格取得の講座を開講している企業に就職しました。


――就職後の仕事内容は?


電話営業や講座の開発に従事していました。ここでたくさんの人と会い、「働く人」について知ることができました。次に学んだのは「メンタルヘルス」です。勤めていた会社に、企業にストレスチェックなどを提供する会社の社長が講師として来たことがあったのですが、話のなかでその方は学生時代に山岳部だったと知り、森と心身の健康のことを話したら盛り上がって。


後日、森と心の健康をテーマにした卒業論文を送ったところ「うちで働きませんか」とオファーをいただいたんです。その会社に転職してからは、メンタルヘルスについてじっくり学ぶ日々がはじまりました。


複数の職種を経験しながら、目標到達のために挑戦を続ける



――どのようにメンタルヘルスを学んだのですか?


心の健康に特化した企業だったので、仕事をしながら産業カウンセラーの資格を取得したんです。会社の業務で企業研修を提供していたので、森の中での研修を提案する機会をいただき、とてもやりがいを感じていました。


ところが数年後、企業が合併して森の中での研修がなかなか通らなくなってしまって。どうしようか迷っていた頃、中国支社を立ち上げるメンバーの募集があり、ゼロから新しいものを立ち上げるマインドを培うために応募しました。1年半、支社の物件探しや中国語が話せるスタッフの雇用などに携わりましたね。今思えば、この経験が起業をする時にも役立ちました。立ち上げを終えた時、「ここでできることはやりきった」と感じて、フリーランスのカウンセラーになりました。


――フリーランスになってからはどんな活動を?


2つの心療内科のクリニックと業務委託契約を結んで、心の調子が良くない患者さんと日々向き合っていました。しかし、次第に「森の中で心の健康を取り戻す方法があるのでは」と感じるように。もっと森林が持つ健康効果を学びたくなり、産業カウンセラーと並行して、国が立ち上げた森林セラピー事業の事務局でアシスタントをすることにしました。


その後、事務局が山の中にホテルを作ることになって。カウンセラーを辞めてホテルの経営に携わることになりました。ホテルの母体である精神科病院の院長が「心身を癒やすリトリート施設を作りたい」と言っているのを聞いて、私のニーズに合っていると感じたんです。


――ここまで、さまざまな職種に挑戦されていますが、「働く人を森で癒やす仕事をしよう」という目標は変わらなかったのですね。


当時は、ホテルで森林セラピストとしてお客さまを森に案内しながら、SNSで森と健康の関わりを発信をしていたんですね。すると「森と健康について教えてほしい」と依頼がくるようになって、副業で講師の仕事を始めました。


講師の依頼が増えるにつれて「自分の経験が周囲に認められている」と自信がつき、ホテルを退職して、個人事業主としてスタートを切ります。だんだんと大手企業からも依頼がくるようになって法人として「森と未来」を立ち上げました。


学生時代、積極的に専門家に話を聞いたことが今の人脈に



――学生時代の経験は、今どのように生きていますか?


大学で「森と健康」についてアンケート調査をする前に、各分野の専門家に話を聞きにいくことがありました。今でも、その人脈が続いていて、専門家は研究する人、私は実践する人という立場で関係を結べています。困ったことがあれば質問しあえる関係を築けていますし、双方に必要な存在になれたのは、学生時代に動いたからこそですね。


――学生からの夢だった仕事をしながら、どのようなやりがいを感じていますか?


ある日、管理職の女性を森にご案内していたときのことです。森を散策し、途中シートを敷いて寝ころんで過ごしていたとき、彼女は静かに涙をこぼしはじめました。そっと近くで様子をみながら、プログラムの最後に感想を聞くと、「なんでこんなに焦って生きてきたのだろう。もっとこんな時間を大事にしたいし、子どもにも同じような体験をさせたい」とおっしゃっていました。


スピードを求められる社会のなかで、忙しなく働いていると「今、ここに自分が生きている」ことを感じにくくなっているのかもしれません。森で過ごすことで自分と向き合えた方を見ると「この仕事をしてよかったな」とやりがいを感じます。


今後は、森に入って気持ちがいいと感じることが当たり前になるように、たくさんの人が気軽に森に行ける仕組みを、行政や民間の方と一緒に作っていきたいですね。また、さらに多くの人に、森と関わって心が癒やされることの価値を知ってもらうために、広報活動なども積極的に進めていくつもりです。


興味の分野は一つに絞り込まなくていい



――目標到達のために必要なことは何ですか?


大学を卒業して働き始めると忙しくなりますが、自分の目標と向き合う時間を意識して作りましょう。そして、「自分のやりたいことは何だろう?」「何を学びたくて、この会社に就職したのだろう?」と考え続けることを習慣にしてください。私はそのおかげで仕事の内容が二転三転しても、目標を見失うことはありませんでした。


――職歴が増えると、転職しにくくなると考える人もいますが、どう思いますか?


私は、新卒入社した会社で、ずっと働くことは考えていませんでした。だから今の学生さんも、就職活動で「一生ここで働こう」と判断しなくても良いと思います。「どんな仕事がいいのか分からない」と思ったら、自分の研究にこだわらず興味のあることを書きだして、自己分析をするのがおすすめです。私の場合は健康、森林、癒やしといったキーワードが出てきたので、その言葉に関係する仕事をしている人に話を聞きにいきました。


――どうすれば、学生時代の研究を仕事に取り入れられると思いますか?


今も昔も、理系学生が悩むところですよね。私は積極的にキャリアカウンセラーに相談していましたが、そこで「一つに絞り込まないほうがいい」という言葉をもらったことを、今でも覚えています。


興味が複数あれば選択肢が広がるんですよ。「自分の研究とこれを掛け合わせたら、こんな仕事ができる」と、新たな発想につながることもあります。


それから、自分が今取り組んでいる研究は誰に影響を与えていて、それによって世の中がどう変わるのか、想像してみてください。キャリア形成のヒントになるはずです。


編集後記


目標のために必要なスキルを考え、焦らずに積極的に挑戦し続けることで、まだ世の中にない仕事ができる。小野さんの話から、理系出身者が活躍できる選択肢の広さをうかがい知ることができた。



ライター
若林 理央
カメラマン
児玉 聡
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